「気球で望遠鏡を飛ばす」
天文学の話である。
我々は天体観測を、遠赤外線を使って行っている。
工業界では一般に遠赤外線というと、聞けば体が中まで暖まったり魚が美味しく焼けたりするらしいのであるが、天文業界ではこの光は、近赤外線ないし中間赤外線と呼ばれる。
我々天文学者の間で遠赤外線というと、もっと波長の長い、マイナス二〇〇℃の暗黒星雲の中からも出てくる光のことである。
とても魚を美味しく焼くのには役立ちそうも無い。
この遠赤外線で天体観測をすると、暗黒星雲の中で生まれつつある若い星々から、はるか彼方、太古の宇宙の様子まで、実に様々な天体が観測できる。
我々天文学者としても、大いに観測したいところだ。
だが幸か不幸か(恐らくは”幸”なのだが)、そうそう手軽に観測出来ない事情がある。
それはこの光が、空気中の水蒸気をほとんど透過出来ないということである。
遠赤外線の眼で周りを見渡せば、どんなに乾燥した冬の日でも、五里霧中どころか、自分の足元さえ満足に見えないことだろう。
とても天体観測どころの騒ぎでは無い。
これを避けるには、水蒸気の無い上空へ望遠鏡を飛ばすしか無い。
例えばロケットで人工衛星を打ち上げるのは、その究極の方法である。
我々のグループでも、先頃若田さんがスペースシャトルで回収した衛星には望遠鏡を積んでいたし、二〇〇三年には次の衛星望遠鏡を打ち上げる。
だが衛星望遠鏡にはお金も手間もかかり、いきおい観測は十年に一度といった事にならざるを得ない。
一方水蒸気は、その大半が高度十数km以下の対流圏に含まれ、それより上空の成層圏では急激にその量が減少する。
その高度までなら、ジェット機では苦しいが、ヘリウムガスを詰めた気球ならば到達できる。
準備にも衛星程の手間はかからず、頑張れば一年に一〜二回の観測を行える。
気球観測は、以下の手順で行われる。
まず、望遠鏡を作る。
気球用の望遠鏡を市販しているわけでは無いので、自分たちで図面を引き、町工場に依頼して骨組みを作る所から始めねばならない。
従ってもしあなたが図学実習を真面目に受けているなら、将来天文学者になった時には役立つであろう。
出来上がった骨組みにドリルでボルトを通す穴を開け、あるいはアルミ板を金ノコで切り、自分たちの観測装置(これも手作りである)を取り付けて行くのである。
次に、望遠鏡をコントロールする電子回路を作る。
気球には人間が乗り組むわけでは無く、観測はリモートコントロールで行う。
(我々の気球の飛ぶ上空では、気温零下四〇℃、気圧は地上の1/200である。こんな気球に乗ってみたいと思う物好きは、人類史上でも数名しかいない。)
電子回路は、従って地上から我々が送る指令に従って望遠鏡を制御し、観測したデータを電波に乗せて地上へ送るための物である。
一つの気球望遠鏡全体で優に一万ヶ所を超える半田付けを、学生、スタッフ総出で行う。
観測中にこの内どれか一ヶ所が外れても、それを直しに上空まで出かけるわけには行かない。
つまりそれまでの一年間の努力が水の泡である。
従って初めの内は、観測日が近づくにつれて身も細る思いをすることになる(その内面の皮が厚くなって動じなくなる)。
こうやって作り上げた気球望遠鏡は、打ち上げ(気球の場合は”放球”と言う)られると一晩かけて観測を行い、その間風に流されて一千km程飛んでいく。
そこで望遠鏡を風船から切り離し、パラシュートで降下させて再利用するのだ。
問題は、その一千km先で落ちる場所である。
日本で観測する場合、そこは海の上である。
一番近くの港で漁船をチャーターし、望遠鏡を回収に行く。
船に乗せられるのは、決まって観測チーム内で一番の若者である。
そして大概、船酔いで真っ青になる。
あるいは南半球の星を観測するため、オーストラリアに行くこともある。
この場合回収場所は、人里離れた荒野の真只中である。
現地の回収班に研究者一人が加わり、セスナやヘリ、ジープを使って回収へと向かう。
途中野宿することもあるが、そんな時は焚火を囲んでの楽しい団欒……と行きたい所だが、実際には下手な英語で冷や汗をかく事になる。
やはりこれからの国際時代、英語で冗談の一つも言えないといけないらしい。
こうやって手に入れたデータを研究室へ持ち帰って解析し、天文学的に有用な情報を得る。
これには観測準備以上の時間と手間がかかり、且つ勿論、天文学こそが我々の最終目的なのだが、その紹介はまた別の機会とさせていただく。
現在我々は、新しい気球望遠鏡を製作中であり、日々ドリルや半田ゴテと格闘中である。
この望遠鏡を使って来年5月には岩手県で、その次の冬にはインドで、観測を行う予定である。
(平成10年2月 東京大学教養学部報掲載)